ぼくたちの、いばしょ。

物語の中で起きる、ひとつの中心的な主題に対して
その周囲にいる様々な立場・立ち位置の人々が
それぞれの立場として悩んだり、考えたり、喜んだり、怒ったりする
そういう類の物語がとても好き。
となると、僕が個人的に好きになる物語の多くは
当然のように「群像劇」と言われる類の物語になります。

最近言われる中二病的物語は
セカイ系とか言われる感じのかたちなものが多い気がしますが、
好みとしては世界の命運ひとつにさえ関わらない、
街角のごくごく一角で起きた、数名とそのつながりにまつわる日常、程度の
本当に箱庭の箱庭みたいな画角の物語が好きです。

電車の中ですれ違ったスーツの男性にはその人なりの生活があって、
彼の携帯にメールを送った恋人の弟の親友の妹が
スーツ男性のいる会社に新人として入って、
彼女はスーツ男性の同僚であり、ライバルでもある別の男性社員に
いいよられてうんざりしてたりする可能性とか
あったりすると思うのです。

大きな視界のごくひと角にフォーカスし、
状況を切り取り眺めるような物語だと
創作物ならではのダイナミズムなんかの要素は
どうしてもなくなってしまうことが多いものの、
その手の作品を読んでいると物語の世界が、
部屋から見える電話ボックスのある角地とも
ゆるやかにつながっているような錯覚に陥ります。
陥るからこそ、作品の中に存在する示唆は、
まるで自分のことのように、身近なものへと感じられる。
(まあ、本当に錯覚なのですが。)

放浪息子 9 (BEAM COMIX)

  • 作者: 志村 貴子
  • 出版社/メーカー: エンターブレイン
  • 発売日: 2009/07/25
  • メディア: コミック

 

 

そういう嗜好からすると、
志村貴子「放浪息子」は
ゆるやかに劇的とでもいうような
日常・常識のズレをどストレートに描ききってるところが
ものすごくツボだったりするのであります。

おとこのこになりたいおんなのこと
おんなのこになりたいおとこのこ。
2人と、それをとりまく人々の物語。
ほわほわなカフェオレをなめてみたら
予想に反したぐっとキツイ苦味に見舞われるような味わい。
苦味がクセになり止らないのです。

岡崎京子、山田詠美をはじめとして、
ジェンダーと感情の相関を描くタイプの作家は
80年代中ごろくらいからジャンル問わずいますが
この方の筆致は、そういう流れの系譜をしっかりとひきつぎつつも
「00年代の寓話」とでもいうような
洗練された空気があるように思います。
全体に塗りの少ない画角は、
レイアウトデザインとしてみても
とても美しいかたちを持って飛びこんできます。

新刊9巻、
個人的には冒頭22ページあたりの
主人公・修一くんとおとうさんの会話あたりが珠玉でした。
涙でた。(本当。)

※試験的にmixi日記→blogに変更してみた。
 また戻すかもしれないけど。外部blog流れ、いやな方スイマセン。

hidari

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