インターネット以前のメディアを通じて正しく伝わっていたこと【昨日雑感】
●まとめをブログに書くことについて
ちょっと勢いあまって、昨日の日記に
公開授業のまとめを書いてしまったが
有料講座だったことを後になって思い出し
まずかったかなぁ?という気分をちょっと持った。
せめて会場で事前に一言、明言して質問するべきだったと反省。
(そもそも、会場→事務所に戻ってから、本当に勢いで書いたため、
会場言ってはじめから書くつもりでいたわけではなかったのだが…)
・会場でtsudaってる人がいたこと
・会場側で無線LANを用意しており、希望者は利用してくださいと、
事前説明があったこと
あたりが、書くにいたった根本動機ではあったのだけど
状況証拠的にOKを断定できる話じゃなく
いわゆるマナーの問題だ。
ただ、一方で、
今回語られたことの多くは
いわゆる秘匿性の高いような内容ではなく、
オンライン上に情報が上がっていること自体は
ある種の人々にとっては
それなりに有用なまとめなんじゃないかと思ったので
とりあえず記載を続けておこうと思う。
そんなこと言うならはじめから書くなよ、落ち着けよ、って言われたら
本当にグウの音も出ないのだが…。
※tsudaらなかったのは、単純に「この話は追えない」と思ったからだ。
というより、いざ現場に来てみて、状況即応の編集脳動かす方角に
僕の頭と体が動かなかった。
@tsudatter使うつもりではいたんだけど、申し訳なし…。
それより状況で語られることをノートにメモし、解釈していくことの方が
自分にとっては大事なことに思えた。
まとめ(というほどまとまってはいないが…)書いたのは
自分でそれらの状況を理解するための
確認作業でもあった。
以下その他、長々、参加した雑感です。
●メディアを通じて伝わっていたこと
非常に今更ながら、
フリッパーズギターという音楽ユニットが大好き、
というレベルでは片付けられないほど自分にとっては
大きな存在になっているのですけれど
そのプロデューサー牧村氏との講義という話を
@tsuda 氏のtwitterでのつぶやきで知って、
衝動的に予約して、昨日参加した。
講義内容に魅力を感じたのはもちろん事実なのだけど
やはり渋谷系に関する言及を期待してという気分は大きくて
通常のセミナー・勉強会に行くのとは
全然違う心持ちで参加することになった。
実際なところ、昨日の講義趣旨は、
渋谷系を語ることではないので過剰な期待をするつもりもなかったけれど
折につけ、YMO周辺~渋谷系などの文脈に
ひるがえった話題に触れながらの進行というのは
やはり1ファンとして嬉しいものがあった。
パーフリ・細野氏・初音ミクなどを引き合いにした上での
牧村氏の発言
「日本の音楽はキャラクターが支えた」
は本当に説得力を持って響いた。
ただ、前述の通り、
昨日の講義は
基本的に過去の文脈を参照しながら
今のインフラ=インターネットと音楽のかかわりを解釈する、
という意味で、
「インパクトの強い新説」というようなものが飛び出すような
類の場ではなかった。
突き詰めれば
【情報の認識】の問題になってしまう話ではあるのだけれど
僕が昨日聞いた限り、
自分が太田出版のオザワ本をはじめとした
様々な文献などを通じて知っていた
「フリッパーズギター~渋谷系のニュアンス」は
現場の人である牧村氏のコメントと対照しても
特に大きな齟齬はなく、現場の感覚と一致した情報が
正しく伝わっていたんだな、と思えた。
「インターネット以前」の段階で
存在したこの「一体感」は、なんとなく興味深いものに感じた。
●発信者・メディア・ファンの相対関係
厳密にいえば、
「メディアが単に正しく機能していたから」というような
言い方でまとめられる一致ではないと思う。
アーティスト→ファンへのアッテンション
↓
ファン→アーティストへのステータス認識
↓
ステータス認識に沿うアーティスト・サイドの再アッテンション
プロセス中の「↓」にあたるのがメディアとして、
実際には
ファン・アーティスト・メディア、
3者が共有できる空気をもとに
「互いに一致させる」プロセスが
実行された結果なのだろうと思う。
このインタラクション自体は、
別に音楽ジャンルに限ったやりとりでもなければ
インターネット普及以後に特徴づけられる現象ではない。
反応を意識したインタラクションの生成、
というのはいわばマーケティング視線そのもので、
遅くとも80年代以降には、
ずっと意識され続けているものだ。
その効能も弊害も、僕たちは無数に知っているはずだ。
インターネット以前、情報は
メディアを通じて知ることしか僕たちに方法はなかった。
(マス)メディア発生以降、
僕たちにとっての情報とは
メディアを通じて編集され組み上げられたものであり、
メディアに設置された1つの情報を、
発信者とファンが共有していた、というのが実際だと思う。
●時に発信者、時にファン、時にメディア
インターネット以降においても、
発信者・メディア・ファンの3つの「値」に変化はないとして
その構成は立体的、かつ可変的なものになっているのだと思う。
時に発信者、時にファン、時にメディア
状況やトピックスに対して
フレキシブルに位置取りが変化する動きは
twitter周辺をのぞいていれば
よく見かける光景にも思う。
●これだけ「枠組み」の話をしておいて
冒頭で書いたとおり、
今回の講義に参加した動機の多くは
インターネット以前の時代から第一線を見続けてきた牧村氏と
現代メディアのキー・スポークスマンである津田氏の対談講義に
純粋にファンとして興味を覚えたからだ。
ライブとして本当におもしろい場だった、
その満足感で充分だなぁ、という気持ちもある。
講義の後、一緒に参加した@polygraくんと
いろいろな話をしていた。
そもそも@polygraくんと出会ったのも
フリッパーズギターの存在があったからだったし
こういう講義の後で、
好きだった音楽、ムーブメント、そして今とか未来とかについて
おしゃべりできる感覚というのは
本当になにより楽しいし、掛け値なしにうれしい。