mixi規約改定|緑黄色野菜が足りない。
mixi、4月1日より利用規約を改定–日記などについて著作者人格権の行使を禁止
夜があけたところで、あらためて今回のmixi規約改定騒動を考えてみる。
個人的に(そしておそらくは社会的にも)
自社運用のサービス規約の改定という施策そのものに問題があるわけではないのだと思う。
当然なことだが、ユーザーは、mixi社が設定したサービス規約に同意を与えた上でmixiを利用している。
社会に認められたあらゆるサービス契約は、
なにがしかのサービス運用ポリシーと、そのポリシーを成立させるための明文化された契約が存在しているものだ。
今回のmixiの施策は、むこう3年以上先までに到る運用ロードマップを敷く上で、
現行の規約で同意条件の不足やサービス拡張上の問題が想定されるのであれば、
サービス運用の基盤となる規約明文の改定に踏み切るのはいわば当然の権利だろう。
実際問題、声をあげる多くの人々が
「俺の書いた日記が勝手に本にされてしまう!」と本気で恐れている人は、
職業文筆家あるいはなにがしかのジャンルにおいて社会的地名度を持った人々、
まあ少数だろう。
(ややムリヤリ)好意的に解釈すれば
mixi上で日記を書くことで、
mixi社を通じたセルフマーケティングが実現する可能性が高まる、
mixi社が積極的にユーザーとの接点を求めていく、
という表明と読めなくもないわけで、
規約改定に反対しているユーザーの多くからしてみれば、
実は規約の実効力そのものを想像した上で声をあげている、というよりは
自分のアップした情報を、どう扱われるかわからないことに対する
不安感が強い様子の方が見て取れる。
こと、ユーザー←→運営者間のフレームワークが根本から変わる規約改定を
明確な解説の場を設けずに進行しようとした
「ワンマン運営者」の役を負ってしまったmixi社が
無数の民意のひとつにすぎない特定個人の日記エントリを
どこまで大切にあつかってくれるのだろうか?というところに
ユーザーの疑念の根幹はあるように思う。
mixi社の今回の初動対応は、
ちょっと懐かしくも恥ずかしい「ほう・れん・そう」不足とでもいうか
社会人1年目あたりがやるようなレベルのミスに思えて仕方がない。
不安を感じながら仕事をして、確認を曖昧なまま書面提出して
ナンジャコリャと怒鳴られる、アレだ。
(なんか身に覚えがありすぎる。。。)
とはいえ、
mixi側が利用範囲を明らかな形で設定を行っていない
今回の規約の効力を最大限拡張した際の適用範囲は、やはり膨大なものがある。
※20年オーバーリバイバルでふたたび時の人な
三浦和義氏がmixiで日記を書いていることは
IT系を中心とした他メディアでも伝えられていた。
たとえばmixi運営が今回の規約をそのまま適用していった場合
今年の4/1以降、
その内容を書籍化する「権利」を持つことができるわけだ。
映画にもできるし、itunes配信さえしても、規約上の問題はないように読める。
出版社からすればノドから手が出るほどの魅力ある権利であることは明白だ。
mixi社のユーザーに対し環境の変化を意識させないための行いが
結果的にユーザーへ自己の情報管理に対する認識を
今一度再確認させる機会となったことは
大きな目で見れば、そこまで悪いことではないようにも、なんとなく思う。
もろもろ言ってはいるけれど
技術情報や、参考リンクの調べ物など、仕事でも利用しているため、
どうあれ、当座のところmixi自体をやめるつもりはないです。
(今回の件で、コミュニティの情報の質も、揺らぐ可能性はあると思いますが
まあ、そのときはそのときで。)
ただ、クローズでオンライン会議室として利用しているコミュニティに関しては
ちょっと考えないといけないのかなぁ、面倒だなぁ、なんて。
プレミアムサービスの解約は検討中。状況見ます。
今後のOpenSocial参加の話をふまえても、
・日記一括削除ツール
・日記データのエクスポート
は公式で実装してもらわないと
なんか嘘だなとは思う。
<16:24追記>
著作人格権に関する記述が
「三浦被告逮捕の件で、
mixi社自体が起訴される状況をさけるための予防策じゃないか?」
という意見がmixiコミュニティ内にあった。
それだけ(大きいかもしれないが)の理由で
追記するレベルの条文ではないけれど
いろいろな見方ができるものだなと、参考までに。